「幻肢痛の原因が 動くだろう という脳の
予測に反して、手足からの 実際に動きました
というフィードバックが返ってこないことの
不一致に起因する」
思い通りにならないことによる不一致…
深い。精神疾患に見られる様々な身体症状にも
このようなメカニズムが関係していることも
あるのだろうか。
「記憶はその都度考えなくてよい、オートマ制御
の気楽さを私達に与えてくれます〜 〜ところが
認知症の場合は体にお任せができません。
常に考えながら行為しないといけないのです。」
認知機能検査に反映される前の段階で患者さんの
認知症を疑うことがある。性格変化や好みの変化、
「何だか怠惰になった」などの生活リズムの変化
だけでなく、診察していてどことなくぎこちない
会話のテンポや相槌から「違和感」を覚える
事もよくある。このようなオートマ制御機能の
低下を見ているのだろうか。
「ある人の体は、その人が体とともに過ごしてきた
時間によって作られています。与えられた条件の
中でこの体とうまくやるにはどうしたらいいのか。
そんなこの体と付き合うノウハウこそが、その人の
感じ方や考え方とダイレクトに結びついてます」
以前、難聴の方々の集まる手話の会に良く参加していた。参加者の多くが「耳が聞こえない」
ということをあまり不便だと感じておらず(少なくとも私にはそう見えた)、補聴器や人工内耳といった
「障害を補う」機器にも否定的な方が多かった。
そして「手話」や「手話の文化」に対して皆誇りを
持っておられた。今はそれが少しわかる気がする。
生まれつき難聴の子供は聴神経と走行を共にする
前庭神経の機能も弱いことが多く、歩き始めるのが
遅かったり、歩き始めても数年間はふらふらとバランスが悪い。しかし、小学校にあがるころには、脊髄の
発達と共に身体の他の機能がそれを補い、他の子供と
同じように歩けるようになる。まさに与えられた条件の中で次第に身体がオートマ制御を覚え、その体と付き合うノウハウが自然と身につけられていくわけである。