なぜ日記を書くのか

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

突然ですが、外来で患者さんに日々の日記をつけていただいたり、考えを紙に書き出していただくことがあります。

しかし、何か意味があるのですか? 面倒くさいです。と言われてしまい続かないことが多いのが実情です。

 

「書く」こと、そしてそれを「見る」こと。それにどのような意味があるのかもう一度ここで整理したいと思います。

 

たとえば、私たちが3桁の数字のかけ算などをする場合、多くの方にとっては暗算ではなかなか難しいと思います。

それは暗算で行う場合は、全てのプロセスを頭に保持しながら計算しなければならないからです。

しかし、筆算をすることで私たちは計算のプロセスを小さなプロセスに分けながら、紙に書かれた情報と

対話しながら思考を整理、進めることができるのです。もちろん、こうした対話の相手は必ずしも

紙には限らず、時には「そろばん」になることもあるでしょう。とにかくここで重要なのは、

何らかの物を介在することで、その結果を視覚的にフィードバックし、思考を整理しやすくするということです。

「物」ではありませんが、思考を整理するための精神科医との対話も同じような意味合いがあると思われます。

 

認知科学者のアンディ・クラークはテトリスを例にあげながら、同じようなことを語っています。

テトリスをプレイしながら、落ちてくるピースをくるくると回し、あーでもない、こーでもないと

視覚的に情報をフィードバックしながら答えを見つけていく。このようにすることでただ眺めていただけ

ではわからなかった答え、ヒントが見えてくる。自分の頭の中で考えていただだけでは整理がつかなかった

複雑な思考をこなしていけるのです。

 

なぜこんなにもイライラするのか、なぜこんなにも悲しいのか、感情が先行してしまうと

それに流されて冷静に判断できないことも多いと思います。

そんな時こそ立ち止まり、書くことによる思考整理を実践してみませんか?

 

2020年01月03日