そこはかけっこやろ、普通
なぜ人は不安になるのでしょう。
「心配することで問題に対する準備ができる」といった側面もあるでしょう。
心配することで情報を集め、何か起きた際に備えることができます。
心配することが、現実や想像上の問題に対しての安全確保戦略と言えます。
しかし、心配があまりに強められ、頻繁に長く続くことで「危険な」情報に過敏になりすぎる。
すると冷静に考えれば問題のない状況でさえも危険だと解釈するようになっていき、否定的な
側面にだけ注目するようになってしまう。常に心配していると、
ますます否定的な結果だけを考えることとなり、さらに心配につながってしまう。
地下鉄で咳をしただけで喧嘩になったり、トイレットペーパーを巡って
殴り合いになったり、マスクを買い占めたり、、
いわゆる暴露ー反応妨害法では、心配事に対して何もせず、「考えを放っておく」
練習が行われます。安心を求めず、回避と安全確保行動をやめるわけです。
とはいえ、今の不安な状況の中、「何もしない」というわけにはいかないですよね。
でもせめて、手洗い、うがい、マスクなどやれることはしっかりとやって、
それ以上の不安については検索しすぎない、考えすぎない、不安な考えをある程度は「放っておく」
というのは大事かもしれませんね。
皆様の健康に何事もなく、この混乱が一日も早く収束しますように。
院長のランニング日誌、はじめました。
これから、変わって行こうと頑張っておられる全ての皆様。
一緒に挑戦していきましょう!!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にも今年一年、どうか蚊がとまりませんように・・
刺されると痒いですもんね。
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
突然ですが、外来で患者さんに日々の日記をつけていただいたり、考えを紙に書き出していただくことがあります。
しかし、何か意味があるのですか? 面倒くさいです。と言われてしまい続かないことが多いのが実情です。
「書く」こと、そしてそれを「見る」こと。それにどのような意味があるのかもう一度ここで整理したいと思います。
たとえば、私たちが3桁の数字のかけ算などをする場合、多くの方にとっては暗算ではなかなか難しいと思います。
それは暗算で行う場合は、全てのプロセスを頭に保持しながら計算しなければならないからです。
しかし、筆算をすることで私たちは計算のプロセスを小さなプロセスに分けながら、紙に書かれた情報と
対話しながら思考を整理、進めることができるのです。もちろん、こうした対話の相手は必ずしも
紙には限らず、時には「そろばん」になることもあるでしょう。とにかくここで重要なのは、
何らかの物を介在することで、その結果を視覚的にフィードバックし、思考を整理しやすくするということです。
「物」ではありませんが、思考を整理するための精神科医との対話も同じような意味合いがあると思われます。
認知科学者のアンディ・クラークはテトリスを例にあげながら、同じようなことを語っています。
テトリスをプレイしながら、落ちてくるピースをくるくると回し、あーでもない、こーでもないと
視覚的に情報をフィードバックしながら答えを見つけていく。このようにすることでただ眺めていただけ
ではわからなかった答え、ヒントが見えてくる。自分の頭の中で考えていただだけでは整理がつかなかった
複雑な思考をこなしていけるのです。
なぜこんなにもイライラするのか、なぜこんなにも悲しいのか、感情が先行してしまうと
それに流されて冷静に判断できないことも多いと思います。
そんな時こそ立ち止まり、書くことによる思考整理を実践してみませんか?